飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 ANDFAMILY’S 村上 游

飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 ANDFAMILY’S 村上 游

男という者、それ即ちそれぞれの道を行く者なり。というわけで、あらゆるシーンで活躍する男たちに“おごられながら”(ここ肝心!)話を聞く連載企画第四回! 今回はハウスブランドを志向する「ANDFAMILY’S(アンドファミリーズ)」の代表・村上游。個性的な経歴を持つ男が、彼自身が経営に参画する名ラーメン店で己を語り倒す!

 

中学出て「東京行く!」って啖呵切ってきちゃったから、一人でやるしかなかったんですよ。

 

 

ーーさて、アンドファミリーズについて聞きたいのですが、もともと爬虫類ショップをやってたとか?

 

村上 そう。25歳の時に爬虫類屋をやってました。自分は生き物と釣りが大好きで大好きで、好きなものを仕事にしたいなと思って始めたんです。中でもオーストラリアにいる生き物が大好きで。オーストラリアとかニュージーランドって、そこにしかいない生き物が沢山いるんですよ。例えばコアラとかカンガルーとかですが、爬虫類にもそういうのが多くて、独特な進化をしている島。だから年がら年中行ってたんだけど、そのうちその業界のメディアに取材を受けて出たり、記事を書いたりするようになったんです。

 

ーーちょっとした有名人じゃないですか。

 

村上 そうなんですけど、だんだん「水槽の中で生き物を飼うのはどうなんだ?」と疑問を抱くようになった。大好きで始めたんだけど、しまいには売りたくないというか愛着が出てしまって。例えば自分の愛犬を売るってできないじゃないですか。そういうのに近くなって、売りたくなくなっちゃったんです。そんな時に、自分の後輩がブランドをやってたんですけど、彼らが続けられなくなったということで、タイミング的に「ちょっと洋服でもやってみようかな」と思って始めたのがアンドファミリーズの始まりです。2012年で僕が40歳くらいの頃かな。もちろん知識も全然ないから、自分から工場とか生地屋にアタリをつけて、飛び込みで協力を頼んで。裸一貫じゃないけど、イチからのスタートでしたね。

 

ーー工場って一見さんとか断られそうじゃないですか。

 

村上 そういうのは確かにあったよ。だけど、幸いなことに自分はすぐに人と仲良くなれる性格なので、大丈夫だった。爬虫類屋をやってた時も、英語喋れないのに海外と取引するようになったし。動物と釣りについての英語がわかれば大丈夫だったんだ。当時、そんなことしてるやつもいなかったから珍しかったんだろうね。洋服についても、その始め方と一緒だったかな。

 

ーーアンドファミリーズもそうですが、そもそも25歳で爬虫類のお店を出すなんて凄いですよね。

 

村上 俺、中学出た時に東京に来たんだけど、中卒で学がないから、何するって言っても何もない。右も左わからないし、こっちには身内も知り合いもいない。それでバイトとかやってたんだけど、本当にこれからどうしていこうって考えた時に、好きなことしか仕事にできないなと思ったんですよ。それで好きなものの順番をつけたら、一位が釣り、二位が生き物、三位が洋服だった。手っ取り早く仕事ができるとしたら釣具屋さん。でも、一番好きなのは取っておこうと思って、熱帯魚屋で働こうと思って五反田のとある店に面接に行ったんです。そこからがラッキーで、そこは株式会社で規模も大きいのに、面白いから雇ってやるってなって、しかも店長が暴走族上がりで話が合う(笑)。だからすぐに社員で入れて、本当に運が良かったんですよ。あと、俺オタクだから、熱帯魚のこととかめちゃくちゃ詳しいんですよ。自分でも飼ってたし、だから俺宛に客さんがよく来てくれるようになったんですよ。そしたら、半年で副店長になって。その時に爬虫類の勉強も同時進行でしてて、25歳で会社を辞めて独立したんです。確かに17歳でこっちに来て、あっという間でしたよね。

 

 

 

ラーメンを食べに来たなら、やっぱり餃子は欠かせない。皮はパリパリモチモチ感満点なので、ついつい食べ過ぎてしまう!?

 

じっくりと煮込まれたチャーシュー炒め(¥400)は男のつまみの鉄板品。

 

 

 

ーー今の事務所がある場所でやってたということですが、なんで麻布十番だったんですか?

 

村上 いろいろあったんだけど、辞める前までは勤めていた会社の社長に「独立を応援する」みたいに言われてたんです。でも、いざ独立するって時に、「ここはダメ、ここもダメ」って出店するエリアをダメ出しされたんです。意地悪ですよ、完全に。それで唯一許可が出たのが渋谷。バブルで賃料が高いから、どうせ無理だと思ったんだろうね。だけど良い物件を見つけたんだけど、当時渋谷でワニが逃げたとかいろいろニュースがあって、テナントの契約までしたのにダメになっちゃったんです。それで、「麻布十番だけは許してくれ」と社長に頼んで出したんです。東京に来てからはずっと麻布に住んでたし、友達も後輩もいるから、そこは良いだろうと。そうしたら、渋谷に許可出したのと同じで、すぐにつぶれると思っただろうからOKが出て。

 

ーーお店ではいろいろ新しいことをやったんですよね。

 

村上 新しいというか、それまであんまりみんながやってなかったことかな。店を始める時に広告を出したりしたんだけど、当時はまだデザインがおじさんぽいのが多くて。でも、うちの店のは当時は珍しくおしゃれな感じにした。あと、爬虫類を“売る”のではなく、“譲る”という感覚だったかな。一回仕入れたものを自分できちんと飼育して、お客さんに譲る。それで「トリートメント済」と広告に打ったりして。あと、当時は関係ない人も水族館のような感じで来店するようになってたから、店の前にずっと「準備中」と張ってね。満員だと生き物も落ち着かないから、それを逆手にとって「御用のある方はお声がけください」としてたんです。それでも入ってくる人って、本当に爬虫類が欲しい人じゃないですか。そんなシステムにしたら受けてくれて、良い常連さんが増えたよね。

 

ーーどんな爬虫類を売ってたんですか?

 

村上 蛇とかトカゲとか亀とか色々あるけど、最後まで飼えないものは売らなかったです。あくまでも家で飼育ができるもの。それで行き着いたのが小型のヤモリ。当時はまだ専門店もなかったし、自分もヤモリが大好きだったから洋書を読み漁って勉強して。場所的にもやったことも当時は新鮮だったから、うまい具合に乗っていけたんだろうね。あと爬虫類屋が爬虫類しか売るって定義もおかしいから、ナイキの靴とかGショックとかエアガンとか、特別にブースを作って売ってました。当時お世話になってた方が言ってたんだけど、日本の悪いところって「○○商店だったら、○○しか売っちゃいけない」っていう概念が強すぎる。例えば八百屋なら野菜だけしか売らない。でもそんなの決まりがあるわけではないし、魚だって売ったっていいわけ。アメリカってそういうの(決まりごと)が少ないから、モールが出来たんだよね。だから、「ああそうか、この店は俺のモールなんだから、どんなものを売ったっていいのか」と思って。爬虫類を買いに来て、スニーカーがあったっていいじゃないですか。そうやっていくうちにお客さんが広がっていったんですよ。

 

ーー個性的なショップですよね(笑)。一人でその世界観を作ったんですよね。

 

村上 仲間はいたけど、基本的には一人だけ。そういう経歴もあるから、アンドファミリーズも同じなんだよね。とにかく僕は僕の世界が好き。だから、ブームやムーブメントなんて起こって欲しくない。自分が好きな釣りとか爬虫類にはブームが来たこともあったけど、そもそもどれも僕のライフスタイルの一部だから。見栄を張ってるわけでもないし、張ってまでやる意味もない。九州の方言なんだけど、僕の好きな言葉は“いっぽんどっこ”。もともと自分は九州の血筋だし、つるんだり組織を大きくしたりとか興味ないんだよね。親父もガチガチの九州人だし、小倉もそういう街だったから。そんな親父に中学出て「東京行く!」って啖呵切ってきちゃったから、一人でやるしかなかったんですよ。

 

ーー東京から帰りたいと思ったことないですか?

 

村上 思ったよ(笑)! でも、帰るところがないし、誰かに頼るとかしたくなかった。それが、いっぽんどっこですよ。

 

 

 

酒のつまみは話のつまみにもぴったり。酒、料理、興味深い話という組み合わせは抜群。

 

小皿料理が充実しているのも「くろおび」の特徴。ラーメンにたどり着く前にお腹いっぱいになるかも??