飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 legend 吉原 直

飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 legend 吉原 直

強さ、優しさ、ファッションなどなど、男の格好良さを測るパラメーターは数知れず。でも、“形には現れない格好良い”を追求している男もいるはずだ…と思っていたら、見つけました。それが、アクセサリーブランド「legend(レジェンド)」代表、吉原直です。“スキンヘッド&作務衣姿”というパッと見は強面の職人である彼のご自宅にお邪魔し、焼肉と酒をゴチになりつつ酔いどれ深夜放談!

 

「じゃあ人の三倍頑張れば、もっと優れた人間になれるんだ」と思ったんですよ。

 

ーー高校の頃も吹奏楽を続けながらもアクセサリー作りを続けていたとのことですが、卒業後はどうしようと思ってたんですか?

 

吉原 高2の時に、小学生の時に覗き込んだアクセサリーショップで働かせてくれって頼んだんです。そこには小学校の頃からずっと通ってたし、無給でバイトしてたんで。無給でバイトってなんだって話ですけど(笑)。でも、断られたんです。「彫金の学校行け」って。「お前が行ってる間に店が繁盛してたら雇ってやるし、ダメなら雇えない」って。だから彫金の専門学校に行きました。でも、学校で習うような基本的なことは、もうすでにできてたんですけどね。

 

ーー卒業したら雇ってもらえたんですか?

 

吉原 卒業どころか、専門学校に入学してすぐにアクセサリーショップが売れたみたいで、「お前、いつまで学校行ってるんだ」なんて逆に言われてバイトするようになりました。だから、朝から学校行って、帰って来たらそのままショップで働いて。時給400円しかもらえてないし、営業時間外は手当なし。しかも学校から帰ってからなんてすぐ営業時間が終わるんで、実質2時間分くらいしか時給がもらえない(笑)。さらにその後午前2時くらいまで働いて、また朝学校行ってって生活でした。だけど、学校が夏休みになると、ここぞとばかりに働けるじゃないですか。他の人は昼の12時出勤が当たり前なんだけど、俺は普段学校行ってたからそれが嬉しくて。しかもその頃代表に子どもが生まれたから、もっと朝早く来るようになってたんです。だからそれに合わせて早く行って、ずっと勉強させてもらってましたね。そこから夜まで働いて、また朝出てを繰り返して、結局食べる時間もないくらいに忙しくて帰っても疲れて寝るだけなので、その夏休みで12kg痩せました。

 

ーー12kg! 体調崩しちゃいますよ! 夏休みって専門の同級生は遊んだりデートしたりと、青春を謳歌しているわけじゃないですか。羨ましくなかったですか?

 

吉原 高2で進路を決める時、「お前はやりたいことあっていいよなぁ、俺は何やっていいかわからないよ」って、友達からよく言われてたんです。でも僕は逆で、「みんなやりたいこと決まってなくていいよなぁ」って思ってたんです。「プラプラできるし遊べていいよね」って。全然嫌味じゃないんですよ。本当に普通に思ってました。「俺、進路決まっちゃってるしなぁ」って。それくらい彫金一本だったんです。不器用だし、没頭しやすいんでしょうね。吹奏楽をやってた時も学校のマスターキーを借りて朝練ガンガンやってたし。運動もできないし勉強もできないから、人より努力しないとダメなのはわかってて。自分で言うのもなんですけど、それくらい努力に対しては負けるつもりがないんです。そもそも負けるのが嫌い。昔、母親に「ちょっとできないよね、じゃあ人の二倍やればいい」って言われたんです。その時、「じゃあ人の三倍頑張れば、もっと優れた人間になれるんだ」と思ったんですよ。

 

ーー専門学校を卒業されてからアクセサリーショップで働いて、2004年にレジェンドを立ち上げるわけですが、「legend」の由来を教えてください。なんで小文字なんです?

 

吉原 ちょうど独立しようかなという時に、言葉は忘れたけど一番や最強みたいな意味合いで「僕は今後◯◯になる」みたいなことを、アクセサリーショップの後輩に言ったんです。そしたらそいつが俺も「◯◯になる」なんて言い出したから、同じは嫌だなと思って「じゃあ俺、伝説(レジェンド)になる」って言って決めました。最初は大文字にしようと思ってたんですけど、ロゴを考えていた時に「いろいろなことに繋がりそうだから、小文字の方がいいじゃん」って兄貴から言われたんです。確かにその方が、俺にとってのレジェンド、誰かにとってのレジェンドみたいに広がりやすいかなと思って。

 

ーー立ち上げの時に決めていたポリシーはありますか?

 

吉原 「雑誌、卸し、インターネットはやらない」です。ただ、開業したら資金が底をついて、バイトしてお店を開けて、その後またバイトしてって生活だったんです。パンの耳もらったりとか、全然ダメだった。それで、一番最初に雑誌を解禁したんです。「雑誌に載せよう!」と。でも、アクセサリーショップで働いていた時にわかったんですが、ファッション雑誌に載るとブランドとはテイストが違うお客さんも当然出てくるんです。だから雑誌は嫌だったんですが、自分なりに出版社に営業を始めたんですよ。当然訳のわからない僕みたいな男が売り込みに現れるから、ことごとく蹴られるんですよ。でもアイテムに自信があるから理由がわからなくて。とある編集部に行った時には、「この雑誌はいいけど、こっちの雑誌には載せないでください」なんて平気で言ってたんですよ。「これからいろんな雑誌から載せてくれって頼まれるようになるから」って。当然「何しに来たの?」って聞かれて「営業です!」と答えて、「これまでどうだった?」って聞かれて「全部ダメでした!」って答えて(笑)。でも、そうしたら「君、面白いね」って6ページもくれたんですよ。お店に変な小僧が来てほしくないなんて思ってたけど、出版社にとったら俺自体が変な小僧だったんですよ(笑)。

 

ーーその頃から今みたいな格好(スキンヘッド+作務衣が直さんのトレードマーク)だったんですか?

 

吉原 24時間365日になったのは2003年くらいからです。もともと家着が作務衣だったんです。十代の頃から着てて。高2からはハゲです。ツルツル。

 

ーーアクセサリーなんて作っているとモテそうだなと思ってましたが、そうでもなさそう…ですね(笑)

 

吉原 モテるわけないですよね。ハゲですもん。それまでは15cmくらいロカビリーのリーゼントみたいに立ててたんですよ。でも、高校のマラソン大会あるじゃないですか、それに向けて風の抵抗を無くしたら早く走れるかなと思って剃ったんです。大会当日はサボッたんですけどね。洋服も「ドゥニーム」とか「シュガーケーン」とかアメカジが好きだったんですが、アクセサリーの業界だとジジイの見た目にはかなわないんですよ。それで、「俺は作務衣を着よう」と。ヒゲもそうです。ジジイ感というか職人っぽく見せようと思ってはじめました(笑)。

 

ーーパッと見、陶芸家ですからね。

 

吉原 北海道の卸し先に初めて行った時に、店の前に店員さんがいて「レジェンドの吉原さんですよね」って言われたんですよ。挨拶する前に気づいてくれたんです。そこでやっぱり「あ、インパクトあるんだな」と思いました(笑)。

 

 

 

飲み明かした翌朝に住居一階の制作工房へとお邪魔。ちなみに直さんだけでなくスタッフ全員昨晩と同じ格好。要するに朝まで飲んで、シャワー浴びませんでした。

 

自然光が入る工房は男の仕事場としての雰囲気が満点。横顔はまるで正岡子規。

 

使い込まれた工具類は、眺めているだけで趣を感じさせてくれる。

 

手の込んだ道具から生み出されるアクセサリーだけに、美しさもひとしおだろう。

 

素人目にはわからないが、道具の一つ一つにまで職人としての思い入れと意味があるとか。