飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 ZEPHYREN 片倉 弦(GEN)

飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 ZEPHYREN 片倉 弦(GEN)

男として生まれ、男として生きるRUDOな人物。一筋縄ではいかない世界をサバイブする人物に話を聞きたい。あわよくば酒をおごってもらいながら。そんな思いでスタートした「おごられ酒」企画の第二弾。今回のお相手はファッションブランド「Zephyren(ゼファレン)」を手がけるだけでなく、MY FIRST STORY、Another Storyなどが所属する音楽レーベル「INTACT RECORDS」をも主宰する男、片倉弦。今年2月に惜しまれつつ閉店した彼が愛した老舗スナックで、酔いどれトークをしてきました。

渋谷の伝説的なスナックで無頼漢が半生を語る

 

 

ーーファッションブランドに関わるようになった経緯を教えてください。

 

GEN もともとアスリートでテニスをやっていたんだけど、高校の時に喧嘩で人を殴っちゃって手首が砕けたんですよ。テニス推薦で大学に入ったのに、その後遺症が治らなくて大学一年で部活を引退することになって。それで、もともとやりたかったファッションをやってみようと、ヴィンテージのスニーカーを集めたり、並行輸入をしたりしました。当時はエアマックス95やGショックやロレックスが流行ってた時代で、良いものは自分で確保してそれ以外をフリーマーケットに出したりして。今でもスニーカーは300足くらい持ってるし、ヴィンテージのデニムもフラッシャーのついた当時の折り目のままの物も持ってます。映画Tシャツコレクターとか、よくわからない肩書きで雑誌に出てたりもしてました(笑)。

 

ーーそれは知らなかった肩書きです(笑)。まさに怪我の功名ですね。

 

GEN ずっとスポーツしかしてなかったから、ファッションとか不良に憧れがあったんですよ。テニスウェアも変わった感じで着ていましたし。どちらかというと不良的な着こなし。ジョン・マッケンロー(悪童と名高いプロテニスプレイヤー)が大好きだったから。

 

ーー当時テニスをやっていたということは、家柄も良かったんじゃないですか?

 

GEN 親が成り上りタイプだったんですよ。父親が読売クラブのサッカー選手だったんです。母はもともと貧乏だったみたいなんですが、父が成功したから俺に良いことをさせたかったらしくて。こう見えて、3歳頃からクラシックバレエ、習字、ピアノをやらされてました。でも、子ども心にそんなのやりたくなくて、ある時親がテニスを始めたことがきっかけで、自分もやるようになったんです。才能があったみたいで始めてすぐの大会で準優勝したりして、すぐに県内で負けなしになりました。松岡修造とか伊達公子がいたアジア最大級の湘南スポーツセンターというのがあるんですが、そこに(自宅があった)埼玉から通って練習してたんですよ。インターハイも出場してますし、中学生の時はマイアミで開催されたオレンジボールって世界大会にも出場したことがあります。杉山愛とかが同期で一緒でしたね。あと、ロドリゴ・ヘルナンデスっていう松岡修造のコーチがいるんですが、彼のことはすごくよく覚えています。アメリカのどこかの州の大会で優勝だか準優勝した時に、僕がもらった優勝カップで味噌汁飲んだんですよ。すごくキレられましたね(笑)。

 

 

「いつも座る場所」という定位置に座り、酒とタバコを片手にトークがスタート。

 

乾きものにオシンコ。スナック特有のつまみが男たちの酒を彩る。

 

 

ーーマッケンロー顔負けじゃないですか(笑)。でも、そんなに有望な選手だったのに怪我してできなくなったなら、結構辛くなかったですか?

 

GEN でも、中学の頃からマインドが不良になってきてたし、さらにアメリカに行って悪い文化を吸収しましたね(笑)。ビジネステニスと言うか、テニスを愛するというよりも「もういいかな、これくらいで」みたいな気持ちがあったんです。タバコは吸うわ酒は飲むわ、という感じでしたし。試合には勝とうとしてたけど、基本的には、まぁ…いわゆる不良ですよね。特に暴走族に異常に憧れてましたね。

 

ーーテニス界にとったら良かったかもしれませんね(笑)。それでテニスをやめてファッションの道に入ったわけですが、自分のブランドを始めたきっかけは?

 

GEN 大学を卒業して2年くらい経った時に、服屋かメシ屋か家具屋をやろうと思ってたんです。アルバイトしてお金も貯めてあったので。そんな時に、僕は高校からスケボーもやってたんだけど、大学にいたスケーターの先輩と街でバッタリ会ったんです。ノーマンという先輩なんですけど、彼は自分で服を作ってて、露店で販売してるんですよ。ちょっとイカれた男なんですけど。「だったら僕がお店を出すから、デザインやってよ」と。フローリングを自分たちで貼って、目の前の工事現場の足場を盗んで持ってきて、
棚をつくりましたよ(笑)。内装費50万円ぐらいかな。26歳くらいで2月頃だったかな。その時に店につけた名前が「Subciety(サブサエティ)」。だから、ブランド名というよりも、ショップ名だったんですよ。

 

ーーサブサエティの名前の由来を教えてください。

 

GEN もともと元々僕もスケーターで周りにもそういう奴が多かったんですが、シアトルから来たイカれたスケーターがいたんです。名前忘れちゃったな(笑)。昔から街でスケボー持っていると英語が話せそうだから外国人がよく話しかけてくるんですよ。本当はしゃべれないのに(笑)。だから周りに沢山外国人がいて。そんな時に、そいつが考えてくれたんですよ。「Sub Society…Subciety!」って言ったんです。当時は“Sub”って言葉をつけるのが流行っていたし、僕らも全員別の仕事はしていたから、裏社会、それいいねって。友達も1000人ぐらいいたから「みんながTシャツ買ってくれたらなんとかなるでしょ」ってノリでしたね。

 

 

やっぱり一人で仕事として考えて、

どうやって勝つのかということに集中したことがあったんです。

 

 

ーー実際どうでした?

 

GEN 2月にオープンして友達が買いに来てくれて、普通に問題なく売れましたね。そのうち雑誌載せたいよねって話になって、そしたら『Ollie』の編集に友達がいて、SAIGAN TERRORってバンドの方なんですけど、東京4大ブランドで紹介してくれたんです。そのおかげでいきなり売れましたね。感謝しています。まず一年目で6千万円くらい売れて、次の年に1億8千万円くらい売れたんです。3年目なんて2億9500万円くらい。その時ってバブルだし、俺たちいつもキャバクラで遊んでましたね。でも、服のデザインはやってたけど、“本当のアパレル”っていうのを知らなかった。物作りの本質とか職人の考えとかなんて何もわからなくて、センスだけでやってたようなもの。マーケットも分からなかったし、自分たちが発信すればただ売れるっていう時代で。そこからバブルが崩壊して業績が悪くなっていって…。なんとなくやってたんでしょうね。だから人がどんどん辞めていったんだと思います。僕にも5千万くらい借金ができて、キャッシュが残り200万円。だから、最後に残ったデザイナーに「俺はこの200万がなくなったら辞めるから、一丸となってやりたい」って言ったんですよ。そしたらそいつ、「俺、一丸になってやるの嫌なんで」って辞めちゃったんですよ(笑)。

 

ーー普通は頑張ろうぜってなるところなんですけどね(笑)。

 

GEN そうそう。今そいつ料理研究家やってるんです。きじまりゅうたってやつ。「HiLDK(ハイエルディーケー)」のデザインやってましたね。書いといてください。面白いから(笑)。

 

 

いつもはギャグを交えて話す弦さんだが、これまでの人生は真面目の一言。

 

 

ーー確かにHiLDKもありましたね。

 

GEN そこからですね。なんでも出来ることは一人でやろうと思ったのは。でも他のブランドを集めて一軍に戦いを挑もうと思ったことはあります。当時ブランドが一軍と二軍ってはっきり分かれていたんですよ。お金を払っても所詮二軍の俺たちの掲載は雑誌の後ろの方。表紙にもタイトルやブランド名を出してもらえないこととかしょっちゅう。相当フラストレーション溜まってましたね。だから「どうしたら勝てるんだろう」とずっと考えたんですよ。そこで思ったのが、一回僕らのような二軍を集めて一軍に戦いを挑もうじゃないけど、そういう組織を作ろうと。ただ、さすが二軍。一軍の後輩みたいになってるところが多かったんですよ。まとまりが悪いというか。だから、そことツルんでてもしょうがないなと思ったんです。やっぱり一人で考えて自分の世界を作ったほうがいいと思いましたね。

 

ーー周りのブランドとかとあえて関係を切った感じですが、辛くなかったですか?

 

GEN でも、やっぱり一緒にいたらダメになると思ったし、這いつくばってでも上がりたいという空気感は、周りから感じられなかったんですね。ストリートブランドへの不信感というか。まっすぐな感じはなかったし、今も残ってるブランドなんてほとんどない。やっぱり前線にいないと負けだと思ってたし、僕の偏った考えた方が発端ですが、自分で見たこと、考えたこと、手にとって仕事としてやったことが真実だと思ってたんです。

 

ーー皆さんと袂(たもと)を分かったことへの後悔は、今もないですか?

 

GEN ないです。そこにいたら甘えがあったと思うし。景気が悪くなって楽しくない状況なのに、それを楽しむというのがナンセンスだと思ってたから。ブランドをやるというのは貧乏だと格好良くない。ファッションって華やかなものだと思うんです。それに、良かった頃の昔話をよくする人は嫌いだし、俺は今やってることの方が一番楽しい。あと、要するに昔の自分が嫌いなんでしょうね。なぁなぁでやってた頃の俺は一番嫌いですよ。ロクでもないやつだったから。