飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 VIVIFY 浅野俊一郎

飲んで飲まれて男談義「おごられ酒」 VIVIFY 浅野俊一郎

一本気に生きる男たちばかりのRUDO界隈。ただでさえ興味深い男たちの話は、酒が入れば入るほどもっとディープになる。ということで、本誌が注目するキーマンと酒を飲みながら編集部が対談! それどころか対談相手についでにゴチにまでなってしまうという、役得以外の何物でもない企画がスタート!

父の愛弟子が営む中国料理店「あさの」で、
浅野俊一郎がアクセサリーを語る

 

 

ーーこちらのお店は浅野さんと同じ名前(中国料理あさの)ですが、どんな繋がりがあるんですか?

 

浅野 親父は陳建一さんのお父さん陳建民さんの弟子で、四川料理業界では名の知れた店のオーナーシェフでした。最初は広尾でお店を開いて、六本木に移転したんですけど、僕が継がなかったこともあって親父が亡くなってから経営者が変わってるんです。そこも同じ「浅野」という名でやってるんですが、実際「浅野」の味を継ぐ者は不在なので、こちらを紹介したいなと思って。親父の店を広尾時代から六本木まで20年近くお弟子さんとして支えてくれたのがこの店のオーナーシェフです。継いだり暖簾分けというよりも、「浅野」で働いていて、そこから独立されたという感じです。

 

ーーよく来るんですか?

 

浅野 去年末にオープンしたばかりなので2回目です。

 

ーーオススメは何でしょう?

 

浅野 やっぱり〈麻婆豆腐〉です。マスターとはほぼ同年代で、親父の店にいた頃からよく知っているんです。山椒の辛さが良い。ただ唐辛子で辛くしてあればいいというものじゃないですから。ちょうどいいバランスというか。あとは〈ヨダレ鷄〉と〈ボタンエビの老酒漬け〉ですね。上海蟹よりも全然美味しいと思います。

 

ーー家ではよくお父さんが料理を作ってくれたんですか?

 

浅野 いえいえ、全然。料理人ってそんなもんですよ。正月にエビチリと麻婆豆腐が出る場合があるっていうくらいで。(本格的だから)美味かったですよ。だから、他の中国料理屋さんとかで〈欲張りキノコの何々〜〉とか、麻婆豆腐でも〈本格四川の何々〜〉とか名付けられていいているのを見ると、「何が本格派だよ」って思っちゃいますよ(笑)。まったく別物だったりしますからね。プロじゃないので大層なことは言えませんが(笑)。

 

ーーじゃあ、「餃子の王将」とかには行けませんね(笑)。

 

浅野 いえいえ、行きますよ。それは別ジャンルとして美味しいですから。比べるものじゃないですしね。

 

 

おごり場所「中国料理 あさの」の入り口に立つ浅野さん。

 

リーズナブルな価格も酒飲みには嬉しい限り

 

まずはさっぱり「四川前菜ヨダレ鶏」 ¥500

 

しょっぱなからRUDOスタッフ驚愕のうまさ!「マコモダケとザーサイの揚げ炒め」 ¥800

 

浅野さんのオススメの逸品「あさの特製ボタンエビの老酒漬け」1本¥700

 

 

 

自宅で勉強していることになってたんですけど、

なぜか一人で六本木に行ったりして(笑)。

 

 

ーー浅野さんは山口出身ですが、東京に来たのはいつですか?

 

浅野 もともと親父は、中国地方から九州にかけて多店舗展開している高級中華料理屋で総料理長をやってたんですが、東京で店をやることになったんです。少し経ってから、中学3年の夏頃に僕も上京しました。引っ越したのは戸越銀座です。山口の田舎から出てきたから、東京は何もかもキラキラして見えて(笑)。中三だけどあんまり学校行ってなかったんですよ。中途半端な時期に引っ越してきたから友達もできなそうだし。だから自宅で勉強していることになってたんですけど、なぜか一人で六本木に行ったりして(笑)。

 

ーー不良じゃないですか(笑)。

 

浅野 いや、全然そんなことはなかったですよ。僕のイメージでは不良ってボンタンとか短ランだったんですけど、東京では腰履きのディッキーズ。それを真似たりはしてましたけど、本当に不良ではなかったんです。

 

ーーでも、六本木に行ったりしてたら、クラブに入り浸ってたとか(笑)。

 

浅野 六本木は見物に行ってただけなので全くです。ただ、高校の時はクラブブームが始まってたので、「ロンドンナイト」には行かせてもらってました(笑)。

 

ーー聴いていた音楽もそっち系ですか?

 

浅野 やっぱりパンク、ハードコアですね。中学生の時はパンテラやメガデスを聴いていたんですが、東京に来てニルバーナとかメロコアがオシャレなんだと思って聴くようになり、ロンドンナイトに顔を出すようになってからはクラシック(パンクロック)も聴くようになりましたね。

 

ーー自分でバンド組んだりとかも?

 

浅野 高校の時からやってました。担当はギターです。ニューヨークハードコア寄りのが好きで、モッシュやダイブはお子様で「俺たちはステージの上から人の頭の上を歩く」とか(笑)。

 

ーーモテそうな学生時代ですね。

 

浅野 当時は…。でも今は残念ながら、変わったねぇと言われますよ(笑)。

 

ーー浅野さんはハーレーダビッドソンにも乗っているし、バイクも好きですよね。

 

浅野 16歳の時に免許を取ってからは近所で乗ってました。カスタムしたくてもマフラーを買うお金がないから、口径の合う鉄パイプとかを町工場でいじって付けたりしてましたね。ここら辺(「中国料理あさの」がある立会川)の先の六郷土手や多摩川付近は町工場地帯で、工場やってる家の友達もいました。だから、土手とかに置いてあった盗難車を町工場に持って行ってシャッター閉めて、部品だけもらって元あった場所に戻したり…とか、たまにしていました(笑)。

 

ーー凄い一帯ですね(笑)。その時はどんなファッションが好きだったんですか?

 

浅野 「グッドイナフ」とかです。「ノーウェア」に行って違うなと思って「NEIGHBORHOOD(ネイバーフッド)」に行ったりして。当時は「ネイバーフッド」がパンヘッドとかプリントした服を出していて、いつか乗りたいなと思いながら着てました。ピタピタのものも着たりして、いろいろ迷走はしてましたね。今思うと不思議だけど、ミネラルウォーターを首からぶら下げたりしてたヤツもいました(笑)。

 

 

ビールはあまり飲まないという浅野さんだが酒のピッチは早め。実は集合前にすでにいっぱい飲んでいたとか。

 

プリップリのエビが絶妙「王道!! エビのチリソース」¥950

 

男ならガッツきたい「油淋鶏」¥600

 

クリーミーな味わい「青梗菜のクリーム煮」¥850

 

 

 

このままシルバー屋を続けても将来が不安だけど、
食えないわけじゃないという時期を過ごしているうちに、
いつの間にか今になっちゃいました。

 

 

ーーシルバーを作り始めたのはいつですか?

 

浅野 大学4年生の頃ですね。(修行することになる店に)学校辞めてでもいいから働きたいと頼んだら、「責任取れないから学校がない時においで」と言われたんです。それをきっかけに出入りするようになってからですね。池尻の「GODSIZE(ゴッドサイズ)」というブランドです。当時「nerds(ナーズ)」という美容室があったんですが、そこが面白いところでタトゥースタジオ、美容室、シルバー工房が一緒になってるところだったんです。服を置いて美容室して、刺青彫ってシルバー作ってっていう変な空間(笑)。上下関係は厳しかったですけどね。お金もないし仕事も大変とはわかってたけど、とんでもない縦社会だということに面食らいました。良い勉強になりましたし、今でも師匠とは仲が良いですけどね。その後、24才頃に独立しました。

 

ーー「ビビファイ」という名前の由来はなんですか?

 

浅野 来月展示会があるという直前なのに、まだブランド名が付いていなかったんです。だけど全然思いつかなくて、その頃辞めたバンドの名前から取りました。正直何でも良かったと言えば良かったんです。でも“VIVIFY”という単語には“生き生きとさせる”とか、“潤滑にさせる”っていう意味があって、アクセサリーのブランドとしては合ってるなと。

 

ーーどこでスタートしたんですか?

 

浅野 恵比寿です。事務所を構えたっていうよりも、自分が住んでいるところを事務所扱いにして。恵比寿に住めるような身分じゃないんですけどね。でも、当時実家が戸越銀座から目黒に引っ越したんです。だから、自分の収入にあった郊外に住むのが悔しくて(笑)。普通って田舎から東京に出てくるじゃないですか。それならいいんですけど、僕の場合は実家が目黒にあるのに、もっと不便なところに行くのはおかしいなと思ったんです。だから、ボロボロでもいいからとにかく良い場所に行きたくて。恵比寿は選んで正解でしたね。夜中にフラッと遊びに行くとか、呼び出されてもすぐに行けるので。その後、28歳の時にお店を出したんですよ。当時はマンション事務所をシェアしてましたが、シェアって色々ピリピリするじゃないですか。今では仲が良いけど、それで当時は出て行くことになっちゃって。それで物件探した時に「貸事務所に月々払うより貸しテナントでいいじゃないか」と思ったんです。ダメになったら30歳くらいに就職すればいいやと思って。

 

ーー当時、お父さんは立派な飲食店をやっていたと思うんです。料理人になるとか、その店を継ごうというのはなかったんですか?

 

浅野 子供の頃から、いつかそうなるのが自然だなとは思ってました。でも、「パンクロッカーになりたい」とか「今しかできないことにチャレンジしたい」って思う時が皆さん同じようにあると思うんです。僕の場合はシルバーだったんですが、それを続けようか店を継ごうか考えたことはあります。親父からも「お前はどうしたいんだ』」とは、よく言われてましたけどね。実際、俺自身どうしたいんだろうって思うこともありましたし。でも、バンド論と一緒です。収入がない、でも全国ツアーをすると凄く人が来る、だけど食えない。どこかに行くとヒーローなのに、全然食えない。僕の場合は、このままシルバー屋を続けても将来が不安だけど、食えないわけじゃないという時期が長くて。そうこうするうちに、いつの間にか今になっちゃいました。

 

ーーでも、それが晴れる瞬間もありますよね。

 

浅野 近年ですね、そうなったのは。別に自分の信念を曲げなかったわけじゃないし、人間不信になるくらい嫌なことも多かったですけど、もっと辛かった時にすすった泥水に比べたら(笑)。あ僕は“泥歴”の方が長いんですよ。みんなそうだと思うんですけどね。逆に格好いい部分しかない人って、すぐに消えていっている気がします。

 

 

メニューをめくる時にアクセサリーがチラリ。これぞダンディズム。

 

看板メニューであり浅野さん激賞「師伝! 麻婆豆腐」¥1,000

 

看板メニューであり浅野さん激賞 その2「師伝! 担々麺」¥850

 

デザートも絶品「いちご春捲」¥450

 

 

 

基本は作り手の感情が入っていないサラッとしたデザインの方が、
アクセサリーとしてあるべきだと思ってます。

 

 

ーー「ビビファイ」のアイテムってシンプルだと思うんです。浅野さんは音楽とか色々なことを経験されてきましたが、何かにインスパイアされたりすることはありますか?

 

浅野 最初はありましたけど、そういうのは入れない方がいいなと思ってるんです。何もなさすぎると「あれ?」ってなるので、アイテムからそれがあまり見えないようにして、説明文でその要素をチラッとわからせる程度ですね。

 

ーー作る時に大事にしていることは何でしょう。

 

浅野 躍動感です。理屈をこねると、その理屈と完成したものが合っているか…ってなるんですよ。そうやって頭で考えるのではなく、まずは自分が見て「オッ」と感じるかどうか。あとは潔さ。僕はアクセサリーって変にデザインを入れない方がいいと思っているので、まったく入れない勇気、ですね。今も商品については原型から生産まで全部僕がやっているんですが、ブランド名や品質表示を入れていないアイテムもあります。せっかくシンプルなアイテムなのに、それが入ると邪魔だなと思うので。やっぱり、シンプルなものって気を使うんですよ。一番神経を使う。カーブの具合とか、なめらかなところとか、シンプルなものってそれが一箇所でも欠けたら台無しですから。

 

ーー常に新しいものを考えるのって大変なことだと思うんです。そういうのが辛い時ってありますか?

 

浅野 「あった」という感じですね。アパレルのシステムっておかしいと思うんです。季節ごとに新しいものを出すって。多分、その人(作り手)が作りたいものって、一回目で「以上!」って感じだと思うんです。それが何回も続くって、あんまり中身がないような気がするんです。確かに何かからインスパイアを受けてもいいけど、それって自分じゃないじゃんって思うんです。誰かを形にしただけなので。だからこそ僕は、デザインをしない勇気や躍動感を重要視しています。一番優れたデザイナーって、新作新作って言いながら展示会のたんびに「毎回一緒じゃねえか!」っていう同じようなものを作りながらも、毎回毎回売れるような人だと思う。僕の場合は、シーズンシーズンで深く考えすぎちゃって、「なんか理屈っぽい商品作っちゃったな」と思うこともあって。だからこそ、基本は作り手の感情が入っていないサラッとしたデザインの方が、アクセサリーとしてあるべきだと思ってます。よくあるじゃないですか、「ダークで闇の〜…」とか。そういうのを言うのが嫌なんですよ(笑)。

 

ーーでも、時に突拍子もないデザインをしたくなりませんか?

 

浅野 あります、あります。実際やっちゃいますし、それで数年後に恥ずかしくなっちゃう(笑)。(どんなデザインのものでも)ボツにはしないんですよ、商品を。自分は恥ずかしいと思ってる商品が売れてたりもします。それって、僕が恥ずかしいと思ってるだけで、世間には受け入れられてるということですから。

 

ーー今後の展望は?

 

浅野 作るのが好きなので、オーバーワークじゃない状況で手一杯といった、バランスの良い状況が幸せだなと思ってます。ご飯屋さんみたいな感じですかね。チェーン展開をしていくのは大事なのかもしれませんが、そのせいで味が不味くなるのは違うと思う。本来はお店が満員で、きちんと「またのご来店をお待ちしております」と言える状況が良い。それのシルバー版なのかなと思います。今の自分のキャパでは、売れすぎても一つ一つのフォローはできないんです。たとえ人気が出たとしても拡大するのではなく、フォローができる範囲で一旦ストップして、自分が成長してから拡大する。そういうのを意識していないと、一番好きだったものにも依頼が来なくなってしまうと思うんです。好きなことを仕事にしたいなら、そこを無視しちゃいけないと思う。それを両立できる人たちはいっぱいいると思いますが、今の僕にはそれができないんですよ。

 

ーー料理も話もゴチになりました。ありがとうございました!

 

 

 

カウンターあり、テーブルありの店内。料理は本当に美味しいの一言。どんなグルメも納得するだろう。

 

閉店まで居座ってしまいました。「中国料理 あさの」様、ありがとうございました!

 

立会川の飲み屋街。赤ら顔も男ならではの味なのだ。

 

 

 

浅野俊一郎
1977年10月27日生・山口県出身
中学三年生の時に上京。2003年にシルバーアクセサリーブランド「VIVIFY」を創設。世界の街や民族を参考に「風合いx都会」をコンセプトにしたシンプルなデザインを提案。ブラスやガラスなビーズワークなど、シルバーにとどまらないプロダクトも注目されている。

 

VIVIFY
東京都目黒区中目黒1-3-5
TEL:03-3760-7922
vivify-net.com

 

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*対談場所

中国料理あさの
老舗中国料理店「浅野」で修行〜料理長を務めた稲富康治氏が、2018年にオープンさせた中国料理店。四川料理を中心に和の食材を活かした創作料理も提供するなど、地元民ならずとも通いたくなる名店だ。

 

東京都品川区南大井1-1-15
TEL:03-6404-8772